【伝泊連載】おじ・おばと語らんば!~屋仁集落・諏訪東さんインタビュー〜

奄美大島出身の広報がお送りする連載「おじ・おばと語らんば!」第2弾。「語らんば」とは、「語らないといけないね」という意味。
少しずつ失われていく集落文化の事や、おじ・おば達の思い出話を、もっと知ってほしい!後世に残したい!という思いからスタートしました。

第2回目を飾るのは、屋仁(やに)集落生まれ、屋仁育ちの諏訪東(すわ あずま)さんに、奄美大島出身の広報 角田がインタビュー。屋仁で育った東さんが思う集落の人柄や自慢、他の集落にはない屋仁ならではの文化や食べものについて教えてもらいました。

プロフィール

写真を撮る時のみマスクを外し、撮影時以外はマスクを着用して取材を行っております。

・氏名:諏訪 東(すわ あずま)
・年齢:75歳 ※取材時
・出身:笠利町屋仁(やに)

※島の人は、実際の兄弟でなくとも目上の人や年上の人のことを男性は「兄(あに)」、女性は「姉(ねえ)」と呼びます。今回も記事内では親しみを込めて「あずま兄」と表記させて頂きます。

屋仁(やに)はどんな集落?

奄美大島最北端にほど近く、総世帯数77、総人口180人(2022年9月)のこぢんまりとした屋仁集落では海と山に囲まれた独自の文化が育まれています。

角田「あずま兄、今日はよろしくお願いします!早速ですが、あずま兄が生まれ育った屋仁(やに)集落はどんな集落ですか?」

あずま兄「屋仁は誰が来ても歓迎するし、自分を飾らん人が多いね~。」

角田「たしかに、誰でも集落の輪のなかに入れてくれるイメージがあります。移住してくる人も多いですか?」

あずま兄「たくさんおるよ〜、最近できた住宅はほとんどが移住してきた人たちのものだね。誰が来ても集落に溶けやすいところが屋仁の一番の魅力っち思うよ。」

角田「へ〜そうやって集落の人たちと内地の人たちが共存してるっち素敵ですね。屋仁集落で大切にしている場所はありますか?」

あずま兄「蒲生(がもう)神社だろうね。そこには平家と源氏の戦いで源氏側に追われた平家の落人が祀られているんだよ。もう100年以上の歴史がある場所で観光名所の一つだね。」

角田「先日、蒲生神社に行ってきました!水平線に沈む夕陽がとても綺麗でした…。」

あずま兄「他にもみやでら山っちいう神社があってね、そこには女神様がいたのよ。だけど、一つの集落に二つの神社があれば祭りごとで大変だからっちいうことで、今は一緒に蒲生神社に祀られてるわけね。その神様をお供した道を神道(かみみち)っち呼んでるわけ。」

角田「へ〜!神道は今でも残ってるんですか?」

あずま兄「残ってるよ!今でも集落で大事にされてるよ。」

 

朝読み夕読みについて

角田「そういえば、この間屋仁集落に泊まったときに、朝の集落放送で小学生が朗読してたんですけど、毎朝やってるんですか?」

あずま兄「あ〜朝読み夕読みのことね。毎朝6:30ぴったりに小学生たちが朗読するんだよ。」

角田「すごいですね!あずま兄の子どもの頃からあるんですか?」

あずま兄「あったよ~。一週間の持ち回りで、子どもはもちろん緊張するけど、その親もちゃんと起きれるかい?放送できるかい?っちドキドキするわけ。前に気合入れすぎて1時間前の5:30に放送した子もおったね~。」

角田「面白いエピソードですね(笑) 集落の人たちも驚いたでしょう!そもそも朝読み夕読みのきっかけは何ですか?」

あずま兄「たしか子ども会の行事ではじまったはずよ。昔から本を読みなさいっちいう教えがあったから、そこから朗読の習慣ができたんじゃないかな。それにマイクを持てば人前に慣れるし、度胸がつくよね。」

角田「たしかに小さい頃から責任感が生まれそうですよね。屋仁は集落全体で子どもを育てるってイメージがあります。あずま兄が話してた”誰が来ても集落に溶けやすい”っちことがよく分かりました。」

屋仁集落の公民館は、日々子どもたちの明るい声があふれている。

屋仁ブランド・たぁまんについて

角田「屋仁集落ならではの食べものってありますか?」

あずま兄「やっぱりたぁまん*だろうね。」

角田「屋仁のたぁまんはモチモチとした弾力ある食感が有名ですよね。前に食べたとき、あまりの美味しさに手が止まらなかったです。」

あずま兄「昔、屋仁は稲作が豊富で、集落一面ずーっと稲の黄金の景色が広がってたよ。屋仁田袋、赤木名(あかきな)田袋、手花部(てけぶ)田袋、龍郷の秋名(あきな)田袋は有名な田袋水田地帯っちだったわけ。」

角田「稲作の名所っち知らなかったです!そこからどうしてたぁまんが育てられたんですか?」

あずま兄「山の影になるところは稲ができらんがね。そこでたぁまんをつくるようになったわけ。昔は夏の時期に野菜類がないから、たぁまんのクワリ*を味噌汁に入れて食べとったよ。」

角田「へ~そう思うと、たぁまんは全部食べられるんですね。」

あずま兄「そうよ〜捨てるところがない野菜よ。そんなたぁまんを無くしてはいけないっち思いと、国から米の生産量を抑制しなさい、他の作物をつくりましょうっち政策があったから、稲作からサトウキビとたぁまんづくりに変わっていったね。

角田「そういう歴史があって、今では奄美市指定の一集落一ブランドになったんですね。」

*たぁまん…田芋のこと。浅く水の張った水田で作る芋のこと。
*クワリ…たぁまんの茎の部分。

漁について

角田「記憶に残っている屋仁での思い出はありますか?」

あずま兄「潮が引いた時にだけ出てくる、かむごもりっちいう場所があって、そこで魚とっとったよ。潮が引いたら陸続きになるから浜からかむごもりまで歩いていけるのよ。ほら~見てごらん、ここだけ丸くなってるでしょう。」


角田「本当だ、こんなところにあるんですね!かむごもりでは何がとれるんですか?」

あずま兄「えらぶちとか貝がたくさん採れるよ。最近はあまり見かけないけど、ゆんっちいう、うによりも大きくて、茶色っぽいやつがいるから、歩くときは気を付けらんばいかんよ。」

生まれ育った屋仁集落の魅力を熱く語るあずま兄

屋仁集落の魅力からあずま兄の子どもの頃のお話まで、楽しそうにインタビューに答えていただきました。今回のお話を聞くにあたり、「屋仁集落のことならあずま兄に聞けばわかるよ」といろんな人から声が上がったあずま兄。生まれ育ったあずま兄だからこその言葉の数々でした。そんな集落の魅力を伝え続けるあずま兄の思いをお届けできたら幸いです。

今後もおじ・おばの集落話、思い出話をお届けしていきますのでお楽しみに!

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「おじ・おばと語らんば!」概要

伝泊広報課メンバーが、奄美大島北部・笠利町を中心に、少しずつ失われていく集落文化や伝統、おじ・おば達の思い出話をインタビューする企画。
各集落の魅力をもっと知ってほしい!後世に残したい!という思いからスタートしました。ぜひ気になる集落を見つけて、訪れてみてください。もっと奄美が好きになるはず。