vol.19 つむぐ夜

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“Amami”はイタリア語で「私を愛して」という意味。
そう、奄美には愛さずにはいられない魅力が溢れています。
自然、食、人etc.、愛すべき奄美の魅力を島人の目線でお届けします。

奄美の文化を語るうえで欠かせないものに、大島紬があります。
泥染めと、テーチギ染めを気が遠くなるような回数くりかえし、織子さんたちによって織りあげられる、美しく強く、そして身にまとうととても動きやすい稀有な織物です。

シマの女性たちは母や姉から織り方を習い、畑仕事の傍ら機織りをしていました。機織りはシマ唄にもよく登場し、人々の生活に深く根ざしたものだったことが伺えます。

この反物で7マルキ。大島紬は経絣の密度をマルキという単位で表します。経糸1240本に対する絣糸の本数の単位で1マルキは絣糸80本。7マルキなら576本です。

大正の頃から戦前まで、笠利町の集落では9月から12月にかけて紬の競争織りが行われていました。農閑期のシマの乙女たちが機織りを競った年中行事のようなものです。
これは夜業(ヨナビ)と呼ばれる夜仕事で、夜になるとあちこちの家から機織りの音が響いていました。親はイモやオジヤを炊いて娘に食べさせたりして応援したそうで、まるでちょっとしたお祭りのようですね。

奄美はサツマイモの種類もとても多いところ。皮が赤くて中身が黄色いものだけでなく、皮が白で中が紫、皮が白で中が黄色など様々です。

青年団が2つの組を作り、奨励役員がものさしを持って娘たちの家を回りました。1日で何尺織ったのかを帳面につけ、今日はここまで織れたという印を判子でつけていったといいます。

紬は柄によってかかる手間がまるで違うので、その結果は単純に織った長さではなく、織り賃によって判断されました。難しい柄なら織った長さが短くてもポイントは高いわけです。
結果発表は旧正月。買った組にはそうめんとお酒が贈られました。

 

さてさて、乙女たちがヨナビをしているところには、青年たちがやって来て「励まし」をするトゥギという習慣がありました。集まれば唄のひとつも出たことでしょう。

シマの言葉で青年をネセ、複数形になるとネセンキャといいます。

シマ唄の世界そのものですね。織った長さを測りに行った青年たちも、どうやらお目当ての女性がいたようで、むしろそちらが目的だったとか(笑)
こらこら、青年団。そっちかい!

なんというか、奄美は意外にラテンです。

独身男性が、夜の道で三味線を弾き、意中の女性を誘い出す習慣もあったそうで、まるでメキシコのセレナーデ!(メキシコではバレンタインデーなどの夜に愛する女性の家の前で唄う習慣があり、愛と勇気の象徴とされています。)

当時、機織り上手はいい嫁の条件のひとつで、トゥギをする中で結婚相手を見定めたりしていたようです。婚活の意味合いもあったわけですね。

でも、他の人より速く多く織りたいと頑張っているところに、集まって飲んだり唄ったりされてるのってどうなんでしょう?私なら1人の方が集中できてはかどりそうな気がしますが、そんなこと言ってるとモテなかったんでしょうね(笑)
私はいき遅れそうです。

 

さて、今回の共通歌詞は、

「遠方(あがんと)から此処(くま)に遊びしがいもし 夜(ゆ)さり夜(ゆ)や此処(くま)に遊(あす)でぃたぼれ」

遠いところからここに、よくぞ遊びに来てくれました。
どうぞここで夜が明けるまで遊んで行ってください。

こちらも、とてもスタンダードな共通歌詞です。遊ぶ、というのは概ね唄遊(うたあし)びをさします。唄の島奄美らしい表現ですね。
夜通し唄を掛け合うことは、そんなに珍しいことでもなかったようですよ。
Es como una noche Latina.

 


【プロフィール】渋谷陽子
宮城県出身。2011年6月に奄美へ。
現在笠利町で夫と共にパッションフルーツ農園を営んでいる。
音楽、伝統行事、古くからの習俗、和服が大好きなオカリナ奏者兼業農家。
まるか農園 「まるかの明日」
https://amantropico.amamin.jp/

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