【伝泊連載】おじ・おばと語らんばvol.3!〜おおらかな人柄が魅力!川見 迪夫さんへ須野集落のこと聞いちゃいました〜
奄美大島出身の広報がお送りする連載「おじ・おばと語らんば!」第3弾。
「語らんば」とは、「語らないといけないね」という意味。少しずつ失われていく集落文化の事や、おじ・おば達の思い出話を、もっと知ってほしい!後世に残したい!という思いからスタートしました。
今回は、須野(すの)集落出身の川見 迪夫(かわみ みちお)さんに奄美大島出身の広報 岡村がインタビュー。
毎日1時間かけて出勤している、現役ばりばりのみちお兄に須野集落のことを教えてもらいました!
プロフィール
・氏名:川見 迪夫(かわみ みちお)
・年齢:80歳 ※取材時
・出身:笠利町須野(すの)
※島の人は、実際の兄弟でなくとも目上の人や年上の人のことを男性は「兄(あに)」、女性は「姉(ねえ)」と呼びます。今回も記事内では親しみを込めて「みちお兄」と表記させて頂きます。
岡村「みちお兄、今日はよろしくお願いします!須野集落には、伝泊がいつもお世話になっております(笑)」
みちお兄「はい、よろしくお願いします。そういえば前回取材しとったひろみはわんの同窓生よ~。」
*わん…方言で「私」という意味。
岡村「え!そうなんですか。ひろみ兄は島唄の研究してましたが、みちお兄は歌を作ったっち聞きましたよ!あとでその話も聞かせてくださいね。」
須野(すの)はどんな集落?
岡村「みちお兄、まずは須野集落について教えてください。」
みちお兄「須野は3つのエリアに分かれていて、【じらま(現在はかねく)】【めーだ(まえだ)】【さんだ】っち呼ばれている。そして、もともとは漁業が盛んな町だったのよ。みんなで魚を獲って、たくさん穫れた日にはお祝いに飲む。昔から色んな人との交流があったのよね。だからかお酒好きが多いかもしれんね(笑)」
岡村「須野の兄達はいつも飲み会に誘ってくれます!(笑)そんな須野はかつて漁業が盛んだったんですね~。ちなみにどんな漁をしていたんですか?」
みちお兄「昔は各家庭にモーター船があってね、追い込み漁をやっていたよ。網元と呼ばれる人たちもいたね。大人だけでなく、子供も一緒になって網をひいたりしてたよ。漁業もやりながら農業もやっていたから、毎日忙しく暮らしてたな。」
子供の時から「漁業」が身近に。
岡村「目の前に海が広がる海は、生活にとても強い関係があったんですね~。何か海にまつわる思い出とかありますか?」
みちお兄「学校の帰りに港に寄ると、その日の漁のおこぼれがもらえたのよね。それをもらいに寄り道してたよ。もらった魚は歯で骨を取って、その場で刺身にして食べたりしてたな。」
岡村「えー!?歯で魚が下ろせるんですか?(笑)みちお兄さすがです。」
みちお兄「あとね、昔は海岸沿いに今よりたくさんアダンが咲いていて、白い花が咲くんだけれどそれを使って釣りに行ってたな~。ソテツもだけど、アダンも人の生活を助けてくれる植物だったと思う。あとね、須野には『須野海人の唄』っち歌もあるのよ。」
実は「作詞家」のみちお兄!
岡村「冒頭でもちらっと話にあがりましたが、みちお兄はその『須野海人の唄』の作詞をしたと聞きました!」
みちお兄「そうそう。ずっと須野で歌い継がれてきてるんだけど、もともと1番と2番の歌詞しかなかったところに、もうひとつ歌詞をつくって1~3番までの曲になったのよ。もう10年も前のことだけどね。」
岡村「す、すごいです…!今、ここで聞くことはできますか…?」
みちお兄「はげ~しょうがないね(笑)いいよ。」
岡村「はげ〜!海の景色が浮かびますね。他にも何か作詞した歌っちあるんですか?」
みちお兄「あと『ハブは神様』っち歌も作ったよ。鹿児島の人に『ハブは奄美の神様なんでしょ?一緒にその歌作ろう』っち誘われて。その場にたまたまわん*が居合わせた結果、作詞することになってねー。もう45年ほど前のことだけど、今も調べたら出てくるはずよ。」
須野集落はお祭り好き?
岡村「私の個人的なイメージなんですけど、須野集落はお祭り好きっちイメージです。」
みちお兄「そうかもね~。ハマオレなんかむる盛り上がるしね。それに、若い世代が『踊りを廃れさせてはいけない』という思いから、積極的に八月踊りの継承に努めてくれてるよ。」
*むる…方言で「とっても」という意味。
岡村「他の集落では、踊りの継承者不足が問題になってますもんね…。今もしっかり踊れて歌える人がいるのは本当に活動の賜物ですね。ちなみにハマオレは、何をするんですか?」
みちお兄「4月頃にする島の行事で、昔は各自でお弁当を持って浜に集まり近所の方と一緒に食べていたよ。最近は余興なんかするようになって、よりイベントっぽい集まりになったね。須野は余興への本気度によく驚かれるっちょ(笑)」
須野集落の自慢ポイントは?
岡村「はげ~色々な話しをありがとうございました。みちお兄、最後にこのシマの自慢ポイントを教えてください!」
みちお兄「そうね~、まずは人柄よね。ここに住む人はみんな須野集落のことが大好き。そして、本当に誰でもウェルカムという精神(笑)どんな人でも迎え入れてくれるおおらかな人が多いよ。」
岡村「それは本当に感じます。実際その人柄にハマって、移住してくる人もいますもんね。」
みちお兄「あとね、わんが思う自慢は須野ダムと森の石。須野ダムはもう観光地化してるからね~。よく観光客に道を聞かれて連れて行ってるよ(笑)先輩方がきれいに桜なんか植えてるし、野鳥を見に来る人もいるみたいね。」
岡村「私も須野ダムは父と行ったことがあります。山の中に突然現れるダムは結構迫力ありました。けど、森の石っち言うのは初めて聞きました!」
みちお兄「森の石っちいうのはね、須野集落の公民館の裏手の山に6mくらいの大きな石があるのよ。今は草木が覆いかぶさってるけど、あそこまで大きな石はなかなか見ないっち思う。昔はみんなの遊び場でね、よく上まで登ってたよ。遠くまで見えて気持ちが良かったなぁ。今度は森の石をテーマにした歌を作ろうっち考えているところ。」
岡村「え!また新しい曲を考えてるんですか!それはすごく楽しみです。完成するのが楽しみです。また聴かせてください。」
誰でも温かく迎えてくれる須野集落、1度訪れてみてください
最後にみちお兄が「集落では挨拶が大切」と教えてくれました。集落を散策する際は、ぜひおじゃましますという気持ちを持ちつつ、すれ違う人に挨拶してみてください。きっと温かく迎えてくれること間違いなしです。
では、今回はここまで。今後もおじ・おばの集落話、思い出話しをお届けしていきますのでお楽しみに!
「おじ・おばと語らんば!」概要
伝泊広報課メンバーが、奄美大島北部・笠利町を中心に、少しずつ失われていく集落文化や伝統、おじ・おば達の思い出話をインタビューする企画。
各集落の魅力をもっと知ってほしい!後世に残したい!という思いからスタートしました。ぜひ気になる集落を見つけて、訪れてみてください。もっと奄美が好きになるはず。